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今も生きている浅川巧

浅川巧の葬儀は、1931(昭和6)年4月4日、清涼里の林業試験場(現・国立山林科学院)の正門前の広場でおこなわれた。司会を務めたのは京城メソジスト教会の田中牧師。棺は里門里の丘にある朝鮮人共同墓地に埋葬されたが、のちに忘憂里の共同墓地(現・忘憂里公園墓地)に移葬された。日本人の引き揚げ、そして朝鮮戦争を経て、墓は荒れるがままだったが、1966 年、巧の元同僚金二万氏が提案し韓国林業試験場職員一同の名によって「浅川巧功徳之墓」が建てられた。
また、1986年には趙在明氏を中心にやはり職員一同の名で「韓国の山と民芸を愛し、韓国人の心の中に生きた日本人、ここ韓国の土となる」と刻まれた記念碑が建てられ、1997年には山梨県高根町と山林科学院およびその同窓会である洪林会の手で整備された。巧の墓は、忘憂里の中で韓国人によって守られているただ一つの日本人の墓であるといわれている。哲学者であり随筆家の安倍能成(1883-1966)が巧の死の翌年に著した「浅川巧さんを惜む」は、随筆集『青丘雑記』に収められた後、「人間の価値」と改題されて1934年発行の岩波書店編輯部編『国語巻六・中学校国語漢文科用』に収録された。1996年には韓国で巧の著書『朝鮮の膳・朝鮮陶磁名考』や高崎宗司著『朝鮮の土となった日本人──浅川巧の生涯』が翻訳出版された。
2001年7月、浅川兄弟の故郷、山梨県高根町(現・北杜市高根町)に「浅川伯教・巧兄弟資料館」が開館。浅川兄弟の遺族や関係者などから伯教の遺愛の茶碗、膳、伯教作の茶碗、皿、書画などが寄せられ、また韓国の金成鎮氏が50年にわたり保管していた「浅川巧日記」や、朝鮮の膳などの工芸品や陶磁器が韓国から寄贈され、趙在明氏からは「朝鮮民族美術館」旧蔵品の写真も寄贈されている。

史実に基づく物語 6月9日(土)新宿バルト9、有楽町スバル座他にて全国ロードショー